食べる事が楽しいですか?
農作業しながらも時々思い出してしまう質問なのです。
昨夏、東京・秋葉原の農業新聞社社屋屋上や、お店の店先でバケツ稲が栽培されていたのをTV放送で知りました。
メイドさんの格好をした女の子達とか、ボランティアの人達が水やり等の手入れをして、見事に収穫まで漕ぎ着けた後、脱穀、精米してメイドさん達の調理したオムライスを食べる権利を獲得した青年が(うらやましい)、取材に対して答えた言葉が印象的だった。
『食べる事が楽しい事だと知りました。』
こんなコメントだったと思う。
予め用意したコメントだったのか、本心から出た言葉だったのかはTVを視聴している自分には判別できなかったけれども、「えっ!」と驚いたのを記憶しています。
食べる事は大きな楽しみであり、喜びのはず!
これは生命維持の本能的な欲求のはず。
もしかしたら栄養補給とかエネルギー充填だけが目的になっているのではないか?
食べるという定義が食い違ってきている気がする。
これまた、もしかしたら農業分野の仕事をする我々にもその原因があるのかもしれない。
農産物供給だけに一生懸命で、野菜や家畜を育てる楽しさを伝えきれていないのでは?
農業とて収益性を無視しては成立しない。そんな自分でも、ニンジンの成長を見るのは楽しい。
綺麗に揃った発芽や輝くばかりの緑で生き生きと成長していく様子には毎回感動を覚える。そんな楽しさが食べた時の感動や美味しさに繋がっていると思う。
農業とは食べる楽しみを提供する仕事であってほしい。
田舎暮らしに憧れる都会人はそんな農業に魅力を見出しているのではないか?
そう考えると、今注目されている第6次産業に繋がっていくのか。
自分達で生産・加工・販売サービスまで提供すれば、生産と食の喜びが結び付きやすい。
だが、これも大都市周辺とか有名観光地周辺といった立地条件や、人が集まるコンテンツが必要だと思うので、日本中どこでも出来るという事業モデルではない、むしろ数多く林立してしまえば、同業者同士の過当競争にだって発展する可能性もある。
また、話題になって注目されているうちに商品を売って売って売りまくり、ブームが去っていく前に、その利益を集めてまた別の事業に投資するといった経営モデルも農業には通用しない。商品や原料となる農産物が成長する時間と栽培面積等に制限があるからだ。
注目される商品といえど数には限りがある。地域限定色の強い農産物は無理が効かない。
いくつかの事業モデルについて触れたけれど、それぞれの方向で成功している方々の苦労は並大抵のことでは無い。それは認識している。
結局のところ、自分の考えがまとまらない。
イベントの時だけ売れる商品というよりも、消費者の人達の日常に組み込まれて、普通に消費される農産物ってのが理想のように思える。
その商品で人を幸せにできるような、魅力とか、付加価値とか、そういうものが欲しい。冒頭に触れた若者達にも受け入れられるような。
できれば、ロープライス以外の魅力がいいな。
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